天領食品


造り酒屋が食品を造る?

どうして造り酒屋が食品を…

弊社は、延宝8年(1680年)創業の飛騨の小さな造り酒屋を礎に、
高度経済成長の頃、食品会社として産声をあげ、現在に至っています。

造り酒屋が食品製造にのりだす

造り酒屋の杉玉 先代社長(現社長の父)は、
復員後代々続いている造り酒屋を引き継ぎました。
戦後の高度経済成長の波に乗り、順調に製造数量を増やし、
大手清酒メーカーへ桶売り(下請け)をしながら
地元向けに清酒「天領」を販売していました。

昭和47年~48年ころになると、
飛騨地方の観光地でも地酒よりも、
大手清酒メーカーの日本酒が上等とされ
広く流通されるようになりました。

地酒よりも大手メーカーの清酒が売れる状況の中、
先代はそれまでの4倍規模の製造を行い、
その多くを大手清酒メーカーに販売することを計画し、
土地を確保して新しい醸造蔵を建設することを決断しました。

しか し、いざ建設に着工することになった時、
販売先に予定していた大手清酒メーカーから
「清酒の売り上げが急速に減少してきた。今後この流れは続く」
「長期間の取引は困難になる」と告知されました。

先代は急遽工場建設の中止という苦渋の決断を行いました。

しかし、既に土地は確保しています。
代々この地と共に発展してきた、一経営者として、
地域の発展を願うとき、この土地でなかできないか・・・

キノコ そう考えた先代は、
予定地に「キノコの人工栽培」の工場を建設し、
当時としては画期的な栽培方法で
「ヒラタケ」の栽培を始めました。

プラスチックのビンに
オガ屑と清酒造りで自家精米して排出された
米ぬかを主原料とするキノコの培地を詰め、
種菌接種後4ヶ月で収穫できる施設を建設しました。

ピーク時には日産1.5トンを収穫する東海地区最大のキノコ工場となり、
収穫したキノコのほとんどは青果品として、東海、関東の市場へ日配していました。

きのこしぐれ誕生

奥様 そんな中、当然ですが青果として出荷できない
B級品のキノコも収穫されます。

B級品キノコとは、
形や大きさが悪いだけで味は変わりません。
ただ、商品として流通させてもらえないだけの同じキノコです。

そんなB級品キノコを、
廃棄するのはしのびない、
食べ物を粗末にしてはいけないと、

先代の妻(現社長の母)が大ナベで佃煮にして袋詰めし、
食料品店やお土産店に卸し販売を始めました。
そして、その佃煮は、
多くの方々から「おいしい」の声をいただきました。

これが、後に天領を代表する商品「きのこしぐれ」となったわけです。
そして、今も食卓のお供やご贈答用として愛用していただいております。

造り酒屋の使命としての本物の食品造り

造り酒屋の食品部門として産声をあげ、
キノコの生産と佃煮を販売していた弊社ですが、
家業である酒造りの基本に立ち返ったとき、ある結論に達しました。
日本酒造りは、古来よりの製法で化学的なものは一切使わず、皆様にお届けしている。
そんな、造り酒屋が造る食品もそうでなければならないと・・・

昭和54年、造り酒屋としてのプライド、そして、お客様とのお約束として、
「本物の食品造り」「安心安全をお届けする」ことを社是とし、
当時はまだ主流であった化学調味料や保存料などの使用をやめました。
そして、安心安全で本物の食品をお届けできる製造方法に切り替えました。

そして平成元年、
天領酒造株式会社食品部から天領食品株式会社として独立しました。

その後、ブナシメジの最新鋭の栽培工場の建設を行い、
農薬等を一切使わず、安心安全なキノコ造りを進めました。

平成17年にキノコの生産は終了しましたが、
加工食品は平成16年に以前の大ナベでの加工場から
国際基準の衛生的な工場やレトルト殺菌機の導入など最新の設備となりました。

やさいのドリンク 製造する商品も佃煮だけではなく
カレーや牛丼など現代のニーズに合った
食品を製造するにいたりました。

健康志向の食品を化学調味料・保存料無添加の基に、
地元の食材や国産の食材を使用し
飛騨ならではの食品を製造し ています。


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